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回復期⑥ [急性脳症]

2014年2月9日(入院14日目)
(小児病棟での記録)
この日は日曜日ということもあり、検査やリハビリはなし。
終日、廊下の散歩や、絵本、TV、ボール遊びなど、ボク&ヨメのリハビリに徹した。
左足をチョットだけ蹴り出す感じがあり、動きがよくなった印象。
その他の状態は前日とあまり変わらない。


2月10日(入院15日目)
8時20分
血液検査を実施。

10時10分
主治医の回診。
・血液検査の結果、栄養状態・貧血・白血球など問題なし。
・今日は脳血流の検査をします。
・食事も順調そうなので、今日あたり鼻チューブを外しましょう。

11時20分
リハビリ(理学療法)を約20分。

12時50分
鼻チューブを外す。
これで、体についていたチューブが、全部なくなった。
ヨカッタね!リンリン!!

14時30分
脳血流の検査を実施(放射線医薬品を使用)。

16時30分
主治医から、検査結果の説明を受ける。
やはり左右に、脳血流の差が生じている。
赤色やオレンジ色は血流が良いところで、左前頭葉は緑色が多かった。
(赤→オレンジ→黄→緑→青:血流悪い)
通常は左右に血流の差は生じないそうで、やはり脳症の影響だろう とのこと。
脳血流改善の為、ヒルトニン投与の説明を受け、お願いすることにした。
ただ効果は薄いらしく、何もしないよりは・・・、というレベルらしい。

右手は動き出していたので、チョット期待していたのだけど、現実は厳しく、ダメージを受けた箇所は顕著に結果に現れていた。

17時30分
注射(ヒルトニン)。

ダメージを受けた部位は、何らかの形(後遺症)で出てくる。
右手は動き出している。
後遺症は動きの悪い右足か?
それとも知的な分野か?
その両方か?
程度は重度か?中度か?軽度か?
悪く考え、不安に陥る。
でもリンリンが1番頑張っている!リンリンを信じなければ!!



と、思いながらも・・・また悪く考え、不安に陥る。
心の整理はつかず、ボクとヨメは悶々とこの日を過ごした。

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回復期⑤ [急性脳症]

2014年2月8日(入院13日目)
(小児病棟での記録)

9時20分
主治医の回診。
・10日に脳血流の検査をします。
・口からの食事を少しずつ増やしましょう。
 (退院時は鼻チューブなしでいきたいので!)
「しかし右手はよく動くネ。左手は?」
と、差し出されたペンを左手で軽く握る。(チカラはあまり入ってない。)

13時20分
ボクが抱っこして(首をうまく支えながら)膝の上に座らせた時、リンリンがニッコリした。
病後初めての笑顔だった。
笑顔といっても、やや顔の表情がやわらいだ?感じだった。
でも明らかに、笑った感じ!
ウレシカッタ!!!
以前は当たり前のように笑っていたのに。
以前は 「何かいいことないかなぁ」 なんてよく言っていたのに。

笑うことがこんなに幸せなんだ! とリンリンが教えてくれた。
泣いてばかりじゃダメなんだ!とリンリンが教えてくれた。
こんな身近なところに幸せが転がってるんだョ! ってリンリンが教えてくれた。

16時40分
左腕を自力で持ち上げて、指吸いを始めた。
左手も少しずつだけど動くようになってきた。

18時00分
今度は横になっている状態で、左膝を自力で立てた。
そしてチョットの間キープ!
今までは、ボクやヨメが膝を立たせても、すぐにダラーんと倒れていたのに。

この日から、ボールを持たせて遊ばせるようにした。
(ボールは、両手じゃないと持てないくらいの大きさ)
そして病院の体温計がいいおもちゃになった。
体温計(と、そのケース)を、一生懸命出し入れしようとしていたからだ!

こんな感じで、両手を使って遊ばせるよう心掛けた。
そして両足は、関節を曲げたりマッサージしたりと、自分たちで出来る限りのことを続けた。



リンリンの回復が目に見える形で出てきた。
リンリン ガンバレ!!!
チョット前まで、ボク達は何もすることが出来なかった。
でも今は違う。
今はたくさんしてあげられることがある。
イヤ、ボク達にしかできないことがある!!!

リンリンがボク達に、強い気持ちを持たせてくれた!!!
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回復期④ [急性脳症]

2014年2月7日(入院12日目)
(小児病棟での記録)
ソチオリンピック開催!
だけど・・・、我が家はそれどころではなく・・・、リンリンの応援ばっかりしてました!

リンリンの状態
・首は座っていない。
・抱っこ状態で手足ダラーん。
・横になっている状態で、右手はぎこちなく動く。
・左手は横になっている状態で、時々チョコッとだけ上げる程度。
・足は横になっている状態で、持ち上がらない。
・足の指はピクピク、足の甲は時々上げ下げする。
・寝返りはもちろんできない。
・笑顔はなし。(泣いたりはするので感情はある?)
・ヨメの読む絵本や歌はよく聞く。

9時50分
主治医の回診。
リンリンが、右手をぎこちなく動かして指吸い中。
「あれっ?右手?が良く動くの?? 左手は?」
と、???だらけ。
「左の脳でしたよね? ダメージが大きかったの。
 でも、左手と両足の動きは良くない(回復が遅い)ので、チョット心配です。」

11時00分頃
「リンリン、タッチー」と手を差し出すと、右手をゆっくり動かしてタッチしてくれた。
ボクもヨメも、本当に本当に涙モンでした。

12時30分
摂食嚥下回診。
嚥下チーム7~8人(先生とスタッフ)の方々がゾロゾロと。
早速、実食!
・ヨーグルト  2口
・チーズケーキ 1口 (チョットむせる)
・おかゆ    1口
・なすび(ペースト状) 1口
この間、右手でスプーンを寄せて、口に入れようとする。スゴイ!
結果
問題なしの為、ペーストの食事から始めることになった。
(まだ必要カロリーを食事だけで摂取できないので、栄養剤と併せて。)

16時00分
今日からリハビリ開始。
OTの先生が来られ、マッサージを中心に20分のリハビリを実施。

この後は終日、絵本を読んだり、テレビを見たり、ウトウトしたりで過ごす。



この日くらいから泣き声が、かなりしっかりしてきた。
少しずつ、本当に少しずつ回復が進んでいるように思える。


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回復期③ [急性脳症]

2014年2月6日(入院11日目)
(小児病棟での記録)
先日、深夜に動いた右手だが、その後催促しても動かなかった。
結局そのまま入眠したのだが・・・。
なぜだろう?あんなにスムーズに動いたのに。

7時00分頃
リンリン起床。
そして、右手が・・・再び動いた。
右手を口に持っていったのだ!
でもその後・・・やはり動かない。

8時00分頃
血液検査を実施、問題なし。

10時00分頃
耳鼻咽喉科にて、嚥下チームの事前検査。
鼻からカメラを入れて、のどとその周辺を観察。
そのまま水を注入して、飲み込む様子を確認する。

結果
・気管は狭くない。
・きちんと飲めている。
・咳をしたのだが、吐き出すチカラは弱いようだ。
午後から歯科口腔外科で診察し、総合的にみて判断するとのこと。

12時00分頃
右手を使って、おしゃぶりを口に入れようとし、成功!!
こうやって少しずつ動き出していくのだろうか?
ぎこちなくだが、動き出している・・・・・、なぜか右手から(笑)。
※左脳のダメージが大きく、右半身は厳しいと言われていた。

13時00分
脳波検査を実施する。

結果
・今のところ異常な痙攣波はない。

14時30分
歯科口腔外科の診察。
歯の本数と舌の動きを確認する。

結果
舌の動きは単調ではなく、上下左右斜めに複雑に動いている。
明日嚥下チーム立ち合いの下、実際に食べ物を口から摂取してみることになった。

15時30分
抗生物質の点滴を終了し、点滴と左手に挿してあった針・チューブを外す。
これで体にあるチューブは、鼻チューブのみとなった。

22時50分
ウトウトしている時、右手が動き鼻チューブへ。
そして、そのままチューブを引っこ抜き、大泣き!
やはり鼻チューブに違和感を感じるのだろう。
でも、イヤと思うものをイヤと思い、体を動かして排除しようとしている。



脳の働きが少しずつ活発になっているように思えた。

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回復期② [急性脳症]

2014年2月4日(入院9日目)
(小児病棟での記録)
リンリンの状態
・ほとんど体は動かない。
・笑顔なし。
・手足の指がたまにピクピク。
・首は座っていない。
・追視はする。(認識はあるように見える)
・手足にむくみあり。

6時50分
リンリン起床。
午前中は、ヨメに絵本を読んでもらったり、TVいない いないばぁ を見たりして過ごす。
なるべく手足をマッサージしたりして、刺激を与えるよう気を遣う。

9時15分
遠城寺式乳幼児分析的発達検査表を記入する。
(病前の状態を記入。これは退院時に再度記入し、今回の病気の評価をするとのこと。)

午後も午前と同じようにして過ごす。
栄養剤は鼻チューブから注入。
少しずつ量と質を上げていくとのこと。(胃薬も併せて注入。)

21時10分
この日最後の栄養剤注入中、体全体が時々ピクピクする。


2月5日(入院10日目)

7時00分頃
リンリン起床。

9時30分頃
主治医の回診。
今後様子を見て、リハビリを計画していくとのこと。
手足のピクピク、体のピクピクはいいこと! 痙攣ではないので安心してよい!!
2月7日に嚥下チームの診察を受け、良かったら経口に移していくとのこと。

日中は前日と同様にして過ごす。

18時00分頃
この日はボクが付き添うことにしていたので、ヨメは帰宅する。

23時45分
リンリン寝る。

00時45分
看護師の回診で、リンリンが目を覚ます。



すると・・・・・・、



なんと・・・・・・、



リンリンの・・・・・・、



右手が動き、・・・・・・、



ベッドの柵を、握ったのだ!!!!!!

動かないだろう と言われていた右手が・・・動いた。



「えっ?何で右手が??」
と、真夜中の4人部屋で、つい大声で言ってしまった。
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回復期① [急性脳症]

2014年2月3日(入院8日目)
(先進救急医療センター→小児病棟での記録)
病状も落ち着き、リンリンはこの日の午後に小児病棟に移動することになっていた。
ボクは、リンリンの状態も落ち着いたこともあり、前日でホテル通いを止め、自宅に帰宅していた。

9時00分頃
ボクとヨメは墓参りに行っていた。
ご先祖様と、そしてオヤヂに、リンリンの報告とお願いに行ったのだ。
ボクのオヤヂは9年前にがんで他界している。
生前、オヤヂは病床でこんな事を言っていた。
「お前らがあの世に来るようなことがあったら、オレが蹴り返してやる!」
もうすでに死への覚悟はできていたのだろう。
そしてボク達への、オヤヂの精一杯の愛情表現だったように思う。

オヤヂが他界してから2年。
オフクロがくも膜下出血で倒れ、「あと1週間がヤマ」 と言われた。
でもオヤヂが守ってくれた。
※約8ヵ月の入院を経て、オフクロは軽い後遺症があるものの、現在1人で生活出来ている。

今回もオヤヂが守ってくれる!
「安らかに寝てる場合じゃないゾ、オヤヂ!しっかり守ってくれヨ!!」
「ボクはどうでもいい、リンリンを頼む!」
そんな想いを、オヤヂと話してきた。

9時27分
大学病院から電話がかかり、13時に小児病棟に移動すると連絡があった。
そのまま大学病院に向かった。

11時00分頃
大学病院に到着。

13時00分頃
小児病棟に移動する。
この時の、ヨメの記録ノートの言葉。
「久々に抱っこさせてもらう!生きているリンリンが抱っこ出来た!あったかい!!
 何日ぶりかな。首が座らずグニャグニャ。でも今までのリンリンの大きさ!」

リンリンはこの日、安定した状態で、小児病棟1日目を過ごすことが出来た。



この日から、付き添いをヨメと変わり、ボクが自宅から通うことにした。
ヨメは、子供の扱いは百戦錬磨!
なんてったって、職業は現役の保育士(現在は育休中)。
今さらながら心強かった。
そして、今だから言うけど、入院中良くガンバッタ!!!
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急性期⑦ [急性脳症]

2014年2月2日(入院7日目)
(大学病院・先進救急医療センターでの記録)
昨夜から今朝にかけて、自発呼吸も落ち着いてきた。
少しずつだが、リンリンに動きもでてきたが、体自体は動かない。

8時00分頃
前日から急激に上がったすい炎の炎症反応だったが、今朝の検査で昨晩と同数値。
どうやら今がピークで、段々と落ち着くだろうとのこと。
チョット、いや、かなりホッとした。

リンリンの状態。
・起きていると泣く。
・唇をよくなめる。
・ベロを出したり、入れたりを頻繁にする。
・追視をするようになる。(認識しているかは不明)
・手足の指先だけ、たまにピクピクと動く。
何か体を動かそうとしているが、思うようにいかないもどかしさを、リンリンから感じる。

ひとまず病状は落ち着いてきたので、明日、一般小児病棟に移ることになった。


主治医の先生と相談し、先進救急医療センターにいる間に、リハビリ病院の予約を取った。
この早い時点で予約を取ったのには理由があった。
・後遺症がほぼ間違いなく残ると言われたこと。
・退院してからでは、1~2ヵ月先になることが予想されたこと。
・退院してすぐ、リハビリに取り掛かりたかったこと。
こんな理由で、予め退院予定日を見積もってもらい、何とか3月12日に予約を取ることができた。
そして幸いなことに、主治医のお師匠さんが、このリハビリ病院に勤めているということだ。
更に、このお師匠さん、痙攣重責型急性脳症の研究メンバー(厚労省直轄)というではないか!
ご指名で予約入れときました!!

もう一つ。
この大学病院に来るまでにお世話になった、総合病院の若い先生。
実はこの大学病院での勤務もあったそうで、今の主治医とも面識があるとのこと。
大学病院まで付き添ってもらったのだが、その時「もう少し早く見つけてあげられたら」と、強く後悔されていたそうだ。
ボクとヨメはこの若い先生に、医師の熱意というものを感じていた。
精一杯のことをしてもらった。
もし「後悔」があるならば、それは今後の「糧」に代えてほしい。
そして病気で苦しむ子供を、少しでも多く救ってほしい。(子供は笑顔が1番だから!)
いい先生だった。お世話になりました。
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急性期⑥ [急性脳症]

2014年2月1日(入院6日目)
(大学病院・先進救急医療センターでの記録)

11時00分頃
人口呼吸器と脳波頭部装具を外し、酸素マスクを取り付ける。
リンリンの状態。
・「ウー」と泣きそうな顔を時々する。
・声の大きさは、殆ど出るか出ないか程度。
・時々目を開ける。

今朝の血液検査では、更に炎症反応が上がる。
すい炎の可能性が高いと言われる。

14時20分
内臓エコーですい臓の状態を確認する。
まだ、ひどい状態ではないと言われる。

16時10分
発熱38.3度の為、座薬(解熱剤)を入れる。

20時00分頃
血液検査、炎症反応はまだ上がるが、若干勢いが減ってきた。
もう少し様子を見ることになる。
リンリンの状態。
・目をうっすら開けているが、ボーとしている。
・追視はしない。
・ずっと寝ていたので、なかなか寝ないで泣く。
・泣き声は小さく、かすれ声。
・時々せき込む。



久々にリンリンの声を聞いた。
そして段々と動きが出てきた。

しかし弱っちいボクは、常に後遺症の不安との戦いだった。
そんな時、チョーナンが言った言葉を思い出す。
「障害があっても、リンリンはリンリンだから大丈夫!」

強い言葉だった。
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急性期⑤ [急性脳症]

2014年1月29日(入院3日目)
(大学病院・先進救急医療センターでの記録)
今までのところ、痙攣はうまく抑えられている様子。

今日は体温を34度まで下げる。
子どもの体温調節は難しいそうだ。
15分毎に看護士さんが見に来られ、こまめにマットの温度を調節する。


1月30日(入院4日目)
この日は少しづつ体温を上げる(復温)とのこと。
やはり体温調節が難しいようで、前日と同様に15分毎の管理となっていた。
目標体温は35度だそうだ。


1月31日(入院5日目)
復温は順調に進み、この日は36度まで戻す予定。
合併症予防の為、毎日血液検査を実施していたが、この日、炎症反応が上がる。
原因の特定作業を急ぐが、人口呼吸器は取ったほうが良いかも?と説明を受ける。

16時15分
MRIを撮る。
脳の異常信号は消えている。
何とかピークは越えたようだ。

明日、人口呼吸器と脳波の頭部装具を外すことになった。
この日から、リンリンに動きが見られるようになった。
・眉をしかめる。
・目をうっすら開ける。(右目だけ)
・口をモゴモゴさせる。



先進救急医療センターの面会時間は、ほぼフルに面会していた。
面会といっても何をするわけでもない。
ただ傍にいて、話しかける。
それだけだったが、話しかけることは重要だと思っていた。

目が覚めたら、ボクとヨメが分かるだろうか?
また笑ってくれるだろうか?
チョーナン&ヂナンと遊べるようになるだろうか?

リンリンを信じる気持ちと、不安との葛藤の日々だった。


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急性期④ [急性脳症]

2014年1月28日(入院2日目)
(大学病院・先進救急医療センターでの記録)
先日の夜、リンリンに面会した後、家族控室でボクとヨメは眠れぬ1夜を過ごした。
不安と後悔で押し潰されそうだった。
なぜか、救急車のサイレンが耳鳴りのように聞こえていた。

先進救急医療センターの面会時間は、7時~8時と13時~21時だった。
面会に行くと、何事もなかったようにリンリンは寝ていた。
今日から脳低温療法の為、少しずつ体温を下げていく。
低体温マット(水が循環して任意の温度に調節可能)を背と腹に敷いて、体温を下げていく。
今日は35度まで少しずつ下げるようだ。

朝の面会を終え、ヨメは入院手続きをし、ボクは周辺のホテルを探した。
家族控室は泊まる為のものでなく、あくまで緊急用というのだ。
ホテル通いを決めたのは、やはり状態が急変した時を考えてのことだった。
ヨメはチョーナン&ヂナンの生活もあることから、自宅から病院に通うことにした。



この日くらいからだろうか?
「夢なら覚めてほしい。」
どこかで聞いたことがある、このフレーズを本当の意味で実感していた。
明日朝起きたら、いつも通りの生活が、リンリンの笑顔が、目の前に戻ってくるのではないか。

現実を受け入れられないほど、心が弱っていたのだと思う。
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